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ワルシャワの光と陰

ポーランド

ワルシャワWarsawはポーランドの首都。
白い鐘楼のような塔がある広場
先日までいたバルト三国の首都と同様に、この街も世界遺産だ。💡

ワルシャワは第二次世界大戦の時、ドイツ軍によって徹底的に破壊された。
ヨーロッパの街の広場
戦後、ワルシャワの人たちは街を長い時間をかけて元通りに修復した。

壊れた建物のレンガをできるだけ使い、
また、もともとあった建物の傷などまで元通りに修復。
建物の壁の模様にある傷
↑こんな風な建物の傷は、再現された傷らしい。

このワルシャワ王宮も約40年前までは廃墟同然だったんだって。
ワルシャワ王宮
それをここまで元通りにした人々の心意気に感心した。(´・∀・`)

これは城壁と砦。
赤煉瓦の城塞
この内側が13世紀から続く旧市街で、外側は新市街だ。

新市街にはポーランドの有名な科学者、キュリー夫人の博物館がある。
黄色い壁の洋館
ここは彼女の生家だったとこで、現在は博物館となっている。

彼女と旦那さんの功績は素晴らしいものだ。
彼らの発見のおかげで医学は急速に発展し、
多くの病人やケガ人を救ってきたことだろう。
でもその発見が原爆や原発の開発に繋がったことを思うと
ちょっと複雑な気持ちになった。

もちろん、彼らが原爆や原発を作ったわけではない。
それに加えて、もし彼らが新発見をしなかったとしても
他の誰かが研究したものが原爆や原発に繋がったかもしれない。
わかっちゃいるけど、何となく胸に引っかかったものがあった。

そのあと、Centrumツェントルムと呼ばれる
現在のワルシャワの中心部へと移動した。
高い塔のある建物や高層ビルが見える広場
この辺はキュリー夫人の生家がある新市街よりも
さらに新しく開発された地区で、ワルシャワ中央駅や
巨大なショッピングモール、高層ビルが立ち並ぶ地域だ。

ワルシャワの旧市街は戦争前の姿に戻されたとさっき書いたけど、
全く違うたたずまいになってしまったとこもある。
それがこのCentrum周辺だ。

ここには第二次世界大戦中、ユダヤ人のゲットーがあった。
1943年、ここにいたユダヤ人達はナチスドイツの迫害から逃れる為に
戦ったが、ドイツ軍によってあっという間に鎮圧されてしまった。
そして多くのユダヤ人がここからアウシュビッツなどの
強制収容所に連行され、ゲットーは解体された。
その後この辺りはワルシャワの街の大部分と同様、
ドイツ軍によって破壊の限りを尽くされた。

世界遺産に登録されてるワルシャワ歴史地区と呼ばれる地域は
ほぼ元通りに直されたけど、このあたりはポーランドだかどこの国だか
全然わからない場所になってしまった。
世界遺産に登録された地域から15分も歩けば、そんな場所もあるんだ。
オレたち、ワルシャワに来るまで全然知らなかったよ。😵

古いけど実は立て直されてる旧市街と、
まるで新宿副都心のような高層ビルや巨大な商業施設があるCentrum地区。
両方とも新しくなった原因はどちらも戦争。
うーん…

いろいろ考えさせられた一日だった。

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