約3週間いたイランとも、とうとう今日でお別れ。
イランにやってくるまで
自分たちがこの国について考えていたことが
あまりにもトンチンカンだったと
いまなら痛いほどよくわかる。
クリスマス柄の品なんて持込んだら
没収されちゃうんじゃないか?なんて・・・
一体どんな国だと思っていたんだろう、自分???
たしかに他の国とは違うと実感することはいっぱいあった。
それでも、人々は淡々とそれを受け入れて生きている。
その様は他の国となんら変わりがない。
同じ国、同じ街、同じ世界はひとつとしてない。
だけれども世界はやっぱりひとつ。
なんだか矛盾しているようだけど
旅をすればするほどにそんなことを感じる日々。
イランを含むイスラム諸国では写真撮影に関して規制が多い。
テヘランでお逢いした日本語教師のN先生からも
街並の写真を撮影していて本人は気付かずに
いけないものを写してしまって連行されるケースが多々あるので
くれぐれも注意してね、と忠告を受けていた。
空港などの施設はもちろん不可。
ということで、映像で紹介できないのですが
シーラーズの空港はローカル感満点!
まず、空港施設がめっちゃ小規模。
空港と呼ぶより飛行場ってやつだな、これは。
その昔の女満別飛行場(現:空港)を思い出す。。。
乗客がほとんどがイラン人かアラブ人。
それ以外の外国人は私たちくらいしか見かけなかった。
所持品チェックは厳格なイスラムの国らしく
男女のゲートが別々。
男性のゲートで一人チェックを受けた夫は
珍しい日本人と話がしたかっただけの検査員に
別室へ連れて行かれお喋りに付き合わされてきた(笑)
お?これは日本でいうところのデカビタCってやつか?
これで残りのリヤル(イラン通貨)を使い切ろうと思ったら
持ち金が足りなかった・・・
でも、それでいいよと売店のお兄さん。
最後の最後までイランでは優しい人に助けられてばかりだ。
エア・アラビアというLCCでイラン・シーラーズから
UAE(アラブ首長国連邦)のシャルジャへ向かう。
ちなみに、シャルジャはドバイの隣り国
(と呼ぶべきなのか?七つの首長国のうちのひとつだから)。
アラブの国が見えてきたぞ〜。
イランとアラブの国の間にあるこの海
たしか私たちの記憶ではペルシャ湾と習ったけれど
アラブの国ではアラビア湾と呼ばれているそう。
古代の昔からペルシャ湾だったのに
最近になって急にアラビア湾だなんてさ〜。
と語っていたイランの人もいたっけ。
シャルジャの空港に降りて驚いた。
フライトを待っているのは大勢のインド系の人達。
空港内はスパイスのような独特の匂いで満ちていた。
入国審査でまたまた驚いた。
アラブの男性たちは皆
サングラスを外すことなく入国審査をスルーしていく。
そんなことってあっていいの?!
いろんなことがハテナなまま私たちも無事入国。
久しぶりにみる近代的な街並。
シャルジャ空港からはエア・アラビアの空港シャトルで
一人10AED(約300円)でドバイ市内まで行けるので助かる。
ドバイの宿に着いてさらにビックリ仰天👀
なんだ、この部屋ー!
広い、広すぎる〜〜〜〜〜!!!
キッチンに、洗濯機まで付いてるっ!!!!!
ドバイでこんな宿に泊まれるなんて・・・(T-T)
私たちだけではゼッタイにあり得なかったこと。
それを叶えてくれたのが
なみかさんとスリランカ人のTさん。
世界旅行出発前の日本国内巡りでも
和歌山でお逢いすることができたなみかさん。
不思議なご縁でドンピシャのタイミングで
ここドバイで再びお逢いする運びになりました。
なみか母さん・・・と皆から慕われている彼女は
私たちが「お母さん」と慕っていたある女性によく似た面影。
いつか3人で海外へ行こうね!
と約束したお母さんは、ひとり別の世界へ旅立ってしまったけれど
なんだかいまその夢が叶ったみたいで嬉しい♪
私たちがこの旅を決めた理由は山ほどある。
そのうちの大切なひとつ。
それは、海の外に「逢いたい人」がいるということ。
また、私たちのところへおいで。
いつか、私たちのところへおいで。
私たちを待っていてくれる人がたくさんいる。
いつか・・・
そう、いつか行けるときがきたら行こう・・・・・
そんな私たちに、こういった人がいた。
いつか?それは自分で決めるものだよ。
いつ行くのか。
自分で決めなければ、いつまでその時はやってこないよ。
私たちは決めました。
いまできるなら、いまやろうと。。。
そして今日。
何ヶ月ぶりか(もう忘れた)のバスタブでできることをした。
それは・・・垢すり。
それはもう、自分が嫌いになりそうなほど、出ました〜(T-T)
アラビア語でありがとうは「シュクラン」
今日も読んでくれてありがとう♪ シュクラン \(^o^)/