今日の第一目的地は、ラパヌイ語でアナ・カハルガ。
アナは洞窟の意味らしい。
微妙に日本語に通ずるところがオモシロイ♪
スペイン語でドス・ベンターナス(二つの窓)
と呼ばれるこの洞窟は、イースター島の隠れ名所♪
入り口は地元の人でもなかなか見つけられないと聞いたけど
割とすんなり見つかった。
下に潜っていくように入る。
中に入っても屈まないと進めないほどに狭い(^_^;)
そして、真っ暗!!!
懐中電灯があればベストだけど
携帯やデジカメでライトアップすれば、かろうじて行ける。
でも頭と足下には十分に注意が必要。
恐る恐る暗闇を進んで行くとほどなく光が射してくる。
これがドス・ベンターナス(二つの窓)と呼ばれる由来。
窓の先はまさに断崖絶壁w(゚0 ゚)w
足のすくむような眺めだ!
ここまでのダートな道のりはかなりハードだったけど
ここまで来た甲斐あったよ〜。
(私たちは村から海沿いを走ってきたけど
アフ・アキビ周りの方がまだマシな道だと思う)
今日のお伴は四輪バギー。
どう?ワイルドな写真撮れた?と夫。
いや〜、そんなそろ〜り走ってたら全然だよ。。。
飛沫のひとつもあがってないし(^∇^;)
ここはアナ・テ・パフ。全長3キロ以上もある洞窟だ。
海風の強いイースター島では
植物を栽培するのにこうした洞窟を利用していたそう。
奴隷狩りが行われていたころには
島民の隠れ家としての役割も果たしたらしい。
イースター島の人々は外来人に翻弄され続けて生きてきた
ということをこの島に来て初めて知った。
そもそも、イースター島という名前自体が
この島本来の名前とはなんら関係がない。
あるオランダ人がこの島に到着したのがたまたま
イースター(復活祭)の日だったからって。。。(安直過ぎない?^_^;)
そして、現代においても
島の暮らしは外からの影響を多大に受けて変容し続けている
ということも知った。
さらに島の東側に廻って
まだまだ見逃していた倒れモアイ達をたくさん見てきた。
モアイと一緒に倒れてみた夫。
こんなふうにモアイががっつり倒れている祭壇跡が島中にある。
人口増加による食料不足だとか様々な要因が重なって
島民の不満が爆発しモアイ倒し戦争が起こったというけれど
みんな潜在的にモアイ造りに嫌気がさしてたんじゃ?と思う私。
だって、すっごく大変そうな作業じゃない?
元々みんな、こんなことやってられるか〜って思ってたけど
そんな大それたことなかなか口にできない、みたいな。。。
あ、あくまで私的仮説です。あしからず。
夜はこれまたイースター島名物のひとつ、ダンスショーに行ってきた。
カリカリのダンスが素晴らしかった♪と
同宿の日本女子から聞いていたので行く気満々だったんだけど
カリカリはタヒチアンはじめ
他のポリネシア地方のダンスが多いのよとパトリシア。
たしかに、それも聞いていた。
でも、他の島で見るダンスよりも本格的で迫力もあって
これで20米ドルなんてお得〜!という話だし。。。
一方、バイ・テ・ミヒ(VAI TE MIHI)のダンスと音楽は
全部ラパヌイ(イースター島)独自のものなの。
身体に伝統的なボディペインティングを施した人たちが踊るのよ。
それに私の兄弟がやっているし。。。
(↑これが一番のお勧めポイント?笑)
カリカリはクオリティの高いダンスショーだということは
すでに十分わかっているので、今回は敢えて
パトリシアに騙されたつもりでバイ・テ・ミヒに行くことにした。
バイ・テ・ミヒでは席の位置によって金額が異なる。
もちろん最前列が最高額。
私たちは2列目にして一人12000ペソ。
イースター島の歴史を物語る構成のダンスショーには
鳥人儀礼の様子やあやとりを取り入れた踊りも。
環太平洋地域に伝わるというあやとり。
この孤島にまでやってきてたんだー。
男性陣が揃って太鼓に合わせて舞う姿は
どこか一世風靡セピアを彷彿とさせる。(←年代がバレバレ?)
いずれにせよ、その迫力はハンパない。
フィナーレはお客さんも皆スタンディングオベーション♪
大盛り上がりのステージでした(^_^)
このちっちゃい島にショーを行う場所がいくつもあるから
必然的にダンスや音楽のレベルが高くなるのかも。
ちなみに、客席から連れ出されて舞台で踊らされた私の写真は
諸事情によりカットです。あしからず(笑)
パトリシアと三人、帰り道。。。
うちの旦那は閉所恐怖症だから
ドス・ベンターナスには行けないのよ〜、とパトリシア。
えっ?!一人で夜の海に漁に出ちゃうようなお父さんが?
そっちの方がよっぽどこわくない?
そうなのよ。おかしいでしょ〜(^ ^)
そんなお喋りをしながら見上げる夜空には満天の星が☆