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ベオグラードの人々

セルビア

今日はベオグラードの中での移動日。
ここ数日お世話になったミロス君宅を出て、
他のアパートメントに引っ越した。

ミロス君が色々ベオグラードのことを教えてくれたから、
とても楽しく滞在することができた。
ありがとう、ミロス君!いつかまた会おう!!

次の滞在先に移動する途中、壊れたビルを見かけた。
売店とビル
ぽっかりと穴が開いている。
一部が損壊したビル
これは、1999年にNATOが
ベオグラードを空爆した当時のままの状態で残された建物だ。

当時セルビアはユーゴスラビアという国だった。
オレが子供の頃には存在してたけど、
今はなくなってしまった国ユーゴスラビア。

ユーゴスラビア出身の有名人と言えばストイコビッチ。
Jリーグの名古屋グランパスで長年プレーしてたし
数年前まで監督だったから知ってる人も多いだろう。
超有名なサッカー選手で、ユーゴスラビア代表としても活躍した人物だ。

ちなみにストイコビッチはセルビア出身だ。
そんな彼は1999年、Jリーグの試合であることを訴えた。

『NATO STOP STRIKES(NATOは空爆をやめろ)』

1999年当時、ベオグラードは
NATO軍の空爆によって多くの犠牲者が出ていた。
ストイコビッチはそれを止めたかったのだ。

何故ベオグラードは空爆されたのか。

その頃ユーゴスラビアはコソボ紛争の真っ只中だった。
当時はコソボの独立を止めたいユーゴスラビア
(及びその中心だったたセルビア系の人々)が一方的に悪者扱いされていた。
そのため、米軍を中心とするNATO軍が
ベオグラードなどユーゴスラビア国内の都市を空爆したのだ。

詳しくはこちら→『ベオグラード空爆の爪痕』

街の真ん中に残された、破壊されたままのビル。
我々日本人にとっての「原爆ドーム」みたいなものかもしれないね…

ビルの横を通り過ぎ、新しい宿泊先に到着。
チェックインした後、近くに市場があると聞いたので行ってみた。

ここの市場、完全に地元民仕様で観光客は皆無!
市場のおばちゃんも、外人であるオレたちを
「あんたら何者だ?」という表情で見てくる。
野菜を売っている女性
でも、勇気を出して
Добар дан!ドバルダン!(こんにちは!)
Како сте? カコステ?(元気ですか?)
ってセルビア語で話しかけたら…

おばちゃんも笑顔で応えてくれた!
野菜を売る女性と話す女性客
片言でも現地の言葉を使うと、一気に距離が縮まるね!!

ちょっと言葉を交わしただけで人と人の距離は近くなる。
それは国と国、民族と民族でも同じことだと思う。

対立するのか、それとも仲良くなるのか。
それは人次第。
争いがない世の中になるか、それとも争いは永遠に続くのか。
それも人次第。

人の心次第で世界は変わる。
違うかな〜?

セルビア語でありがとうは「フヴァラ(フアラ)」
今日も読んでくれてありがとう♪ フヴァラ\(^o^)/

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