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全く国民のためのものではなかった国民の館

ルーマニア

ルーマニアのBucureștiブカレスト。

この街で、どうしても見ておきたい場所があった。
ブカレストの国民の館
それがこの建物。

これはルーマニアの独裁者チャウシェスクによって建てられた
国民の館と呼ばれる巨大な宮殿だ。
白い宮殿のような建物
現在はルーマニア議会の議事堂として使われてるが、
元々はチャウシェスク個人とその一家の所有物だったそうな。

地上8階、地下5階、部屋の総数は3000室以上という
想像を絶する規模で、建築費には多額の国家予算がつぎ込まれていた。

エジプトでピラミッドやフランスでベルサイユ宮殿が
作られた頃のような時代ならともかく、
比較的最近の時代に一個人がこんな建物を建てようとしたなんてね。

逆に言えば、チャウシェスクにはそれだけの権力があったということか。
ある意味怖いよね。

さてさて、説明はこれくらいにしておこう。

現在、国民の館は一般公開されており
建物内部の一部を見学できるようになっている。
ただし、ガイドツアーのみ。

オレたちが国民の館に行った時、
ちょうど内部と屋上及び地下室を見学できるツアーが
始まるとこだったので、それに参加することにした。

中に入ると想像以上に広く、天井も高くて驚いた。
あと、立派なシャンデリアとか色とりどりの大理石の柱等
見るからに高そうなものが沢山あって、
驚きを通り過ぎてちょっと引いてしまったね。

建物の中の撮影は不可(別料金を支払えば可能)なため
残念ながら国民の館の内部の写真は一枚もない。
なので、だだっ広い部屋の中に豪華なシャンデリアや
ぶっとい大理石の柱が幾つもあるのを想像してもらえればありがたい。

これは国民の館の屋上からの眺め。
半円形の広場と大きな通り
国民の館の正面には巨大な半円形の広場があり、
そこから真っすぐに大通りが伸びている。

そしてこの広場と大通り沿いには、これまた立派な建物が並んでいる。
革命以前、これらの立派な建物はチャウシェスクの脇を固める
官僚達が住む高級マンションだったそうな。

国民の上であぐらをかいて美味しい思いをしていたのは、
チャウシェスクだけじゃなかったってことだね。

ところで…
チャウシェスクがこんな建物を作ろうとしたせいで、
国民の生活は困窮していたと言われている。

当時、ルーマニア国民の多くは
日々の食事さえ満足にとれない状態だったらしいが、
チャウシェスクは自分のためには金を使い続けた。

しかし、世の中はそんなに甘くはない。

チャウシェスクに不満を持った人びとが立ち上がり、
革命を起こしたのだ。

1989年、身の危険を感じたチャウシェスクは
国外への逃亡を図ろうとしたが、逮捕され、処刑された。

権力を私利私欲のために使い国民の暮らしを顧みなかった彼は、
多くの国民の反感を買い最後には銃殺刑となった。
まるでフランス革命の時のルイ16世とマリー・アントワネットみたいだ。

当然と言えば当然の報いかもしれない。

だが、ルーマニア民主化革命を研究してる人達によると、
チャウシェスクだけが悪者だったというわけではないらしい。
むしろ彼の周りにいた官僚達の方が悪かったという説もあるようだ。

国民の館の周囲にあった官僚用の高級マンション。
これは多くの国民が貧困に喘いでいた当時、
チャウシェスク一家だけでなく官僚達もいい暮らしをしていた証拠だ。

さっきも書いたが、ルーマニアで民主化革命が起きた時
チャウシェスクは捕まり死刑になった。
だが当時の官僚達はほぼ全員、ルーマニアから脱出し逃げ切ったそうな。

また、チャウシェスクが国民の金を使いまくってた頃、
国民がどれほど苦しい生活を送っていたのかを
彼自身は全然知らなかったという説もあるそうだ。

ルーマニアやソ連、中国、北朝鮮など、共産圏の国々(旧共産圏も含む)が
国民に対し、情報をコントロールしてた(今もしてる?)のは有名な話だ。

しかし当時のルーマニアでは、
チャウシェスク自身も彼の裏で甘い汁を吸いまくってた官僚達によって
情報統制されてたのかもしれないね。

今となってはどの話が正しいのか誰にもわからないが。

そして一番恐ろしいのは、
国民に対する情報統制が現在多くの国で行われているということだ。
もちろん日本も。

ルーマニアの悲しい歴史の舞台となった
国民の館とブカレストの街を見ながら、
複雑な気持ちになった一日でした…

ルーマニア語でありがとうは「ムルツメスク」
今日も読んでくれてありがとう♪ ムルツメスク\(^o^)/

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