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旅に出た理由

フィンランド

昨日の昼間、
フィンランド北部の都市イナリから首都ヘルシンキに飛んだ。
ヘルシンキの空港では、ジョン君が待っててくれた。

ラップランドはどうだった?ユレマーは?
興味津々のジョン君。
彼の家に向かう途中でいろいろ答えてるうちに、
なんだかとってもいいとこに行ってたんだな~って再び実感したね。

家に着いて少し旅の話をした後、彼はアメフトの練習に出かけていった。
実はジョン君、アマチュアのアメリカンフットボールチームの一員。
すっげーガタイがいい。というか、めっちゃゴツい。
それなのにとっても優しいから、そのギャップが面白い。

そんなジョン君と夜に一杯やる約束をし、
彼の家に残ったオレたちは一休み。
ここんとこ白夜のラップランドにいて
毎日夜更かししてたから、めっちゃ眠い。
ベッドに横になったら、あっという間に夢の国へ…💤

夜、練習から帰ってきたジョン君とオレは飲みにいった。
嫁さんは体調がイマイチだったのと、ジョン君の奥さんも
この時仕事の都合でフィンランドにいなかったため、
オレとジョン君の二人だけで飲みにいった。

前回彼の家にお世話になった時にも結構話をしたけど、
今日はお互いの嫁さんがあいにく同席できず
男二人だけでの酒盛りということもあり、
こないだよりもさらに深くて濃い話題になった。

話題のメインは、オレたちは何故旅に出たのか。
その理由は…

山ほどある。

行ったことがない場所に行ってみたかったとか、
それぞれの国や民族が持つ文化に触れてみたかったとか、
挙げたらキリがない。
だから、幾つかある旅に出た理由の一部をジョン君に話すことにした。

オレたちは今回の長旅に出る前から
すでに日本の外に多くの友人がいた。

その人達と再び会い、
もっと多くの時間を一緒に過ごしたいといつも願っていたが
それは中々難しいことだった。

時が経ち、金銭的にも時間的にも
もう少し余裕が出来たら、いつか会いに行けるだろう。
漠然とそんなふうに考えていた。

そんな矢先、おばちゃんが亡くなった。

おばちゃんとは、オレたちが
「門前仲町のお母さん」と慕ってた居酒屋のおかみさん。
しょっちゅう一人で山へ写真を撮りに行くほど元気だったのに。

いつか一緒に海外を旅するのがオレたちとおばちゃんの夢だった。
おばちゃんと一緒にスイスの山を見たかった。

でもその夢が実現する前に、おばちゃんは亡くなってしまった。
一緒に行こうと思えば行けたはずなのに、なぜ先延ばしにしてた?

日本の外にいるオレたちの友人たちも
今は元気でオレたちと会うのを楽しみに待っててくれてるが、
1年後2年後そしてそれより先、
現状のままで待っててくれてるとは限らない。

人の命。
それは、限りのあるものだ。

マルコ・シモンチェリというイタリア人のライダーがいた。

彼はモトGPという世界最速のバイクレースに参戦している若者で、
オレはマルコの勇猛果敢なライディングが元々好きだった。
そんな彼と、以前たまたま直接話をする機会があったのだが、
その時にマルコがとてもフレンドリーだったこともあって
オレは彼をさらに応援するようになった。

そして2011年9月末、オレはマルコと再会した。
サーキットで再び会った彼は
トップクラスのレーサーとなったのにも関わらず、
前と何ら変わることのないフレンドリーな好青年のままだった。

だがその数週間後…
彼はレース中の事故で亡くなった。

応援してるよ!頑張って!と掛けた声に
返してくれた笑顔の記憶もさめやらぬうちに。

時速300kmを出せるバイクでのレース。
だからライダーは常に死と隣り合わせだ。
それでも、彼らはバイクに乗る。

理由は簡単、バイクやレースが好きだからだ。
大好きなバイクのレースで世界チャンピオンになるために
彼らはアクセル全開で走る。

家族、友人、ファン、そしてライバルのレーサーたち…
世界中の多くの人々がマルコの死を悼んだ。

けれど、彼自身はひとつも後悔していないとオレは思うんだ。

もちろん早死にしたいとは思っちゃいないだろうけど、
好きなことを全力でやったことに対する悔いはないと思うんだ。

マルコ・シモンチェリの死を知ったとき、
オレは彼に聞かれてるような気がしたんだ。

もしも今死んだら、自分の人生に後悔はないか?って。

だからオレたち二人は、自分たちの人生について考えた。

生きるも死ぬも紙一重。
いつ何がどうなるか、誰にもわからない。
生きてるうちにやりたいことをやろう。
悔いの残らない生き方をしよう。

オレは旅に出るまで高校で教員をやっていて、生徒にはいつも
「やりたいことをやれ!そして、自分がやりたいことを実現するために、
常に自己の100%の力を出して努力しろ!」といった話をしてきた。

でも、オレ自身はどうだろう?
やりたいことやってるか?

確かにやりたい仕事(教員)はやっている。
自分の仕事に誇りを持ってやっている。
やりたいことを仕事にしてるなんて、幸せ者だと言える。
けれど『世界を見てみたい』いうことも
子どもの頃からやってみたいと思ってたことだ。

そして、オレ自身は自分がやりたいこと、
『世界を見てみたい』に向かって100%の努力をしているかというと
胸を張ってやっているとは言えなかった。

休みがとれないとか、金がないとか、
生徒を置いて旅に出るなんてできないとか、
様々な言い訳をしてやりたいことをやろうとしていなかった。

オイオイ!ヾ(-_-*)
こんなんじゃダメじゃん!!
言ってる事とやってる事がデタラメだよ。
こんなのはオレらしくない。

やりたいことをやってない人間が、
生徒に「やりたいことをやれ!」なんて言えるのか?

考え出したら居ても立っても居られなくなった。

旅に出よう。
やりたいことをやろう。
可能な限り、今すぐ。
やりたいことができるうちに❗

そして2012年6月、オレたちは旅に出た。

行きたいとこに行き、見たいものを見て、
会いたい人に会い、食べたいものを食べ(笑)、
やりたいことを全てやるために、旅の期間は約3年とした。

そのために仕事を辞め、家など売れる物は全て売り払い軍資金を作った。
家も仕事も持ってた物も一気になくなるわけだから、
不安がないわけじゃない。

だけどやりたいことをやれないで生きるより、はるかに充実した人生だ!
一度しかない人生だもんね。
楽しまなくちゃ!

そんな事をジョン君に話ながら、
自分達の選択した道を振り返ってみた。
当然ながら、後悔は全くない。
だってこんなに素晴らしい時間を過ごしてるのだから。

オレの話を聞いたジョン君は、こう言った。

なおのぶとけいこはすごく勇気があるよね。
そんな二人と友達でいることを誇りに思うよ。
やりたいことをやるって結構難しいぜ。
俺も二人みたいになりたいな!

…そんな風に言われるとちょっと照れるやね。(。-д-。)ゞ
でもオレは、自分たちに勇気があるかどうかは正直わからない。
ただ、やりたいことをやらないで
死んだ時に悔いが残るような人生は送りたくない。
自分の気持ちに真っ直ぐに生きていたい。👊

教員を辞めた時、オレは高校一年生の担任だった。
自分の生徒達には常々「卒業まで一緒に頑張ろう!」と言ってたし、
生徒達も自分のやりたいことをやるために頑張ってたから、
辞めるのは本当に辛かった。

けれど、自分のやりたいことに向かって突き進む姿勢を
生徒達に少しでも示せたことは、それはそれで良かったかなとも思う。
だから辞めたことに悔いはないし、
これからもやりたいことをやる人生を歩いていきたいと思う。

だからジョン君もやりたいことやろう!
オレもどんどんやるぜ!!

ジョン君と誓いの盃、じゃなくて数杯の生ビールを飲み交わし、
夜は更けていったのだった。
ありがとうジョン君!また飲もうぜ!!

↓これはフィンランドの有名なビールの会社Karfuのコースター。🍺
熊の顔の絵のコースター
Karfuの生ビールを頼むと、
ジョッキと一緒にこの熊コースターがついてくる。
だから飲み終わった時テーブルの上が
空いたジョッキと熊だらけになってて、めっちゃウケたね。😃

さて今日は、フィンランドからイスタンブールへの移動日。
直行便の方が早いけどちょっと高いので、
オレたちは安い経由便で行くことにした。

数ある選択肢に中から選んだのは、ウクライナ国際航空!
まずはウクライナの首都キエフに出発だ!!

長い話を最後まで読んでくれてどうもありがとう!
でもこれらは旅に出た理由のほんの一部。
いつか他の理由も書くかも〜?

フィンランド語でありがとうは「キートス」
今日も読んでくれてありがとう♪ キートス\(^o^)/

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